MELTY BLOOD
&
MELTY BLOOD
-Re・ACT-
■ストーリーモード■
5/幻影の夏、虚言の王
Night ON THE BLOOD LIAR
Kルート
遠野志貴
「くっ……!」
ネロ・カオス
「悪くない。流石はナンバー・10。
かつての私を上回るポテンシャルだ」
「だが―――これだけの条件下において、これで
は些か物足り――――」

遠野志貴
「なんだ……アイツ、薄れていってる……?」
シオン
「――まだ早い。所詮ネロ・カオスは志貴だけが
強く思い描いた不安。概念性を持つほどの“噂”
に成熟する筈もない。あの状態のタタリを殺す事
は誰にも―――」
遠野志貴
「その隙、貰った……………!」


ネロ・カオス
「ぬ、」
シオン
「――――」
ネロ・カオス
「これで、貴様に貫かれたのは二度目か」
「なるほど。いかに我と同格の祖と言えど、例外
の前には脆いもの。
貴様が姫君を招き寄せ、同時に我をこのような
カタチにしたイレギュラーか」
「まあよい。二十七祖になど成ったところで面白
味に欠ける―――我が終局体には、オリジナルこ
そが相応しいからな」

シオン
「―――信じ、られない」
無様にも、そんな呟きをこのしてしまった。
遠野志貴の眼は物の死を視る。
それはカタチに対する殺害ではなく、むしろ意
味の殺害に近い。
そんな事、彼からデータを引き出した時点で知っ
ていた。
それでも私は理解しきっていなかったのだろう。
彼が、生粋の死神と言うことを。
シオン
「……完全にカタチに成っていなかったタタリは
情報体にすぎない。それを、物理的な衝撃で消去
するなんて――」
なんてジョーカー。
彼ならあるいは、本当に―――人間では理解で
きない幻想種をも殺せるのではないか。
遠野志貴
「消えた……倒せた、のか?」
志貴は半信半疑だ。
……それは先程の死徒に手応えがなかった、と
いう事からではあるまい。
元々、情報にすぎないタタリには確かな手応え
などない。
彼はそんな事を超越したセンスで、仕留めた相
手の生死を敏感にかぎ取っているのだ。
遠野志貴
「シオン、今の」
シオン
「……ええ、これで終わりです。志貴が捜してい
た吸血鬼は消滅しました」
遠野志貴
「――それは、本当に?」
シオン
「はい。犠牲者が出る前にタタリを無くせて良か
ったですね、志貴」
遠野志貴
「――――――――」
……嘘をついた。
明らかな虚言に、彼は気が付いただろうか。
それでも彼に否定する方法はない。
彼にとって、タタリを知り得る情報は私だけだ。
その私が「終わった」と言うのだから、頷くしか
ないだろう。
遠野志貴
「そうか。わかった」
「で、シオンはどうするんだ? タタリっていう
死徒は、その……倒して、しまったけど」
シオン
「真祖に協力が得られなかった以上、この街にも
志貴にも用はありません。すぐにでも立ち去りま
す」
遠野志貴
「? アルクェイドの事はいいのか」
シオン
「ええ。もとより彼女から協力が得られる可能性
は低かった。交渉が失敗したのなら、二度目はあ
りません。
彼女とも無益な交渉にかける時間を、治療法の
追究に回すべきでしょう。
私は、初めからそう決めていましたから」
遠野志貴
「そうか。いいけど、それなら」
さっき帰れば良かったのに、と。
ごく自然に言いかけ、彼は止めた。
シオン
「――――――――」
志貴の言い分は、正しい。
私にとって、今夜のタタリ捜しなど意味のない
事。
タタリを真祖との交渉に利用する、なんていう
のは無意味だと私は判っていたのだ。
だから。
さっきの私はとても低い可能性を採用して、志
貴と吸血鬼捜しをした事になる。
遠野志貴
「シオン? どうしたんだ、まだ顔色が悪いぞ、
君」
シオン
「いえ、心配には及ばないのですが」
つまり私は、例え僅かと言え、打算なしで志貴
と一緒に行動した。
それは何故かと思考して、答えはあっけないほ
ど簡単に出た。
――――なんだ。
つまり私は、彼に好意を持っているのか。
シオン
「――――――――」

遠野志貴
「な、なんだよシオン。急に人の顔じろじろ見て」
シオン
「――――――――」
志貴は慌てている。
よほど私の態度は普通ではないのだろう。
うん、私も実感している。
いくら今まで異性や同年代の人間と話した事が
なくて。
いくらそういった物に興味を持っていたからっ
て。
人間はこんな簡単に、人間に好意を持てるよう
になるなんて知らなかったから。
胸が苦しくなると言うか、妙に顔が熱くて困る。
錬金術師の基本は自己のコントロールだという
のに、これでは落第だ。
でも、まあ。
これは、そう悪い感覚ではないみたい。
地面を走っていた犬が、空を飛んだらこんな昂
揚を味わうんだろう。
そう思うと不思議に嬉しくなって、途端。
シオン
「っ………………………!!!!!!」
―――あの吐き気が、こみ上げてきた。
遠野志貴
「シオン? 君、さっきからなんかヘンだぞ。やっ
ぱり休んでいた方がいいんじゃないのか」
シオン
「……気分が悪いので帰ります。志貴の街を騒が
していた吸血鬼も消えたおですから、私たちの協
力関係もここまでですね」
遠野志貴
「うん、まあそうなるね」
シオン
「それではここで。さようなら、志貴」
……志貴からエーテライトを外す。
これで彼と私を繋いでいた糸は切れ、私たちを
繋いでいた契約も終わった。
そうして彼に背中を向けた。
吐き気は収まり、同時に、先程の昂揚もなくなっ
た。
――それで、今までの奇跡のタネが解明できた。
私は人間に好意を持った事がなく、
自分に嫌悪感しか与えていなかった。
だから耐えられた。
あの、乾いて乾いてどうしようもなくなる衝動
に。
いまだ半人前の私を突き動かすのは感情だ。
その感情が、否、物を好むという感情が乏しかっ
た私は、衝動さえ乏しかったのだろう。
だから三年間も耐えられたのだ。
しかしそれも限界。
この先人間に好意を持とうが持つまいが、私の
体はとうに限界を迎えている。
もう吸わないで体を維持できるレベルではなく
なっている。
……ただ、それでもプラスはあった。
吸血鬼になる前の人間。
吸血鬼に噛まれ、
吸血鬼になるしかない人間を堕としめる衝動の
源は、ただ、
“他人が欲しい”という、
そんな単純な感情だと、知れたのだから。


……熱い。
喉が渇く。
もうどのくらいの間、私は喉を潤していないのだろう。
日が昇れば痛む体。
代わりに得た以前とは段違いの身体能力。
それも当然だ。
運動量が増えたのだから、摂取しなければならない栄養
も増える。
普通の食事では間に合わない。満たされない。乾きが消
えない。
赤色で、血液は、苦悶より、絶叫を。
そういった背徳でのみ癒える体。
私はずっと、
三年前からずっと、そんな誘惑に耐えてきた。
―――あの夜。
タタリに噛まれたあの夏。
……熱い。熱い。熱い。
喉は喉と貼り付いて、まるで頭を切り取られたかのよう。
私の首は浮いていて、体とはリンクしていないみたい。
首と胴を繋げる方法はただ一つ。
吸血鬼の手足は神経では繋がらない。
吸血鬼を繋げるモノは、赤い赤い血液だけだ。
しかも他人の。
吸血鬼は、誰かの血を奪わなければ生きていけない。
……私はやらない。絶対にするものか。
アイツと同じ行為なんてイヤだ。
他者から奪わなければ存在できない自分なんて、間違っ
ているんだから。
……けれど、同時に納得している。
優れた生命、巨大な生命力を維持する為には、より多く
のエネルギーが必要なのは自然の摂理。
吸血種は人間より遥かに優れた生命だ。
だから人間と同じ栄養摂取では、とうてい比率が合いは
しない。
つまり赤色とか血液とか苦悶とか絶望とか。
そう言った通常では有り得ない、
けれどエネルギーとしては絶大な栄養が必要なのだ。
解っている、判っている。
錬金術師であるのなら、理に適う事は正義の筈。
ならば吸血種は正義ではないのか。
彼等の行いはともかく、生物としての彼等は何も間違え
てはいない。
だから血を吸う事は恥辱でもなんでもなくて、当然の行
為の筈。
……けれど、私はそれを拒み続けてきた。
判らない。
どうして私は、こんなにも“人間である事”に拘るのだ
ろう。
……解が合わない。
数値をどこかで間違えている。
だからいつまでも疑問が解けないんだ。
けれど、と冷静な頭で思う。
それなら私は一体、何時、何処で、何を、間違えたとい
うのだろう―――

シオン
「……何を、間違えて」
……と。
自分の呟きで目を覚ました。
シオン
「……夜。ようやく満月になった」
それがタイムリミットだ。
熟成した噂がタタリとなる夜。
私の本当の目的、
この身を吸血種へと変貌させた、
エルトナムの敵を討つ刻。
シオン
「これで終わり。どうなろうと、明日になれば」
私は終わっていると思う。
……三年間。
アトラスにも戻れず、教会からも逃げ続けて、
ただヤツを追いかけ続けた三年間。
その間に得た物が、吸血衝動は他者への行為か
ら発する物だと判っただけ、か。
シオン
「……結局。何が間違えていたのかさえ、私には
判らなかった」
答えが欲しかったわけじゃない。
ただ、シオン・エルトナムという私のどこか間
違えていたのかだけが知りたかった。
答えなんて必要じゃなかったのだ。
何故なら、それは。
「―――だって。
答えを出したところで、私がつまらない人間だ
という事に、変わりはないのだし」
……間違いを正したかった訳じゃない。
ただその間違いを知りたかっただけ。
……だというのに。
それだけの望みが、私には果たせなかった。
シオン
「―――行こう。今夜が最後の夜だ」
私は路地裏から歩き出す。
目指す場所はただ一つ。
この街が一望できる神殿、私と彼が初めて話し
たあの場所だ―――
建設途中の高層ビル。
奇しくもシュラインと名付けられたここが、私
の夜の終着だ。
タタリの収束場所が何処であるかなんて、初め
から判っていた。
私は代行者や狩人のように、吸血鬼の気配をか
ぎ取ってこの街にやってきたのではない。
あらかじめタタリが何処を出現場所に定めたか
を計算し、答えを出してやってきたのだ。
私はこの位置に訪れ、結果として、その周りに
この街があっただけ。
シオン
「じき時間か。私は、今度こそ」
一人でも、タタリを仕留めなければならない。

シオン
「――――――」
全身が凍る。
アンナモノに太刀打ちできる筈がないのだと思
考が停止する。
それも当然。
アレがどのようなカタチになるか、実際に対峙
しなくては判らない。
正体がいまだ無い相手のデータはとれない。
錬金術師は情報と戦う者。
だというのに、これから立ち向かう相手はその
情報さえ有りはしないのだ。
シオン
「――――行こう。じき零時だ」
震える足を、凍り付いた理性で進める。
と。
遠野志貴
「あ、やっときた」
ビルの入り口には

遠野志貴
「やあ。今日は一時間遅れだな、シオン」
気軽に手を挙げて挨拶する、彼の姿。
シオン
「………………………………………………………
…………………………………………………志貴?」
シオン
「そうだけど……なんだよ、そんなお化けでも見
るような顔して」
シオン
「だって――――その、どう、して?」
遠野志貴
「どうしても何も、約束したじゃないか。俺たち
はお互いの目的の為に協力するんだろ?
ならまだ何も終わってない。シオンの目的、ま
だ結果が出てないんだからさ」
シオン
「――――」
……そうか。
要するに、とぼけたようでいて、彼は全て見抜
いていたんだ。
少し、呆れた。
エーテライトを抜いてしまったから、彼が何を
考えているのかは判らない。
それでも志貴がどれほどお人好しなのか心底解っ
てしまった。
彼はまだ吸血鬼が滅んでいない事も、
今まで私が隠していた事も知ってなお、
今まで通りにシオン・エルトナムを待っていた
のだから。
シオン
「……確かに私の目的はまだ一つも達成できてい
ません。ですがそれは私だけの問題です。
志貴の目的は昨夜果たされた。志貴が私を待っ
ている理由はないと思いますが」

遠野志貴
「そうかな。悪いけどそんな気はしない。とにか
く確認しないと気が済まないし、ツメを誤って本
当に殺人鬼が現れる、なんて事はイヤなんだ」
「俺の問題もまだ中途半端なんだから、ここで降
りる訳にはいかない。
……ま、シオンの目的とは近いようで遠い気が
するけど、途中までは一緒だろ?
ならもう少し一緒にいよう」
シオン
「それは構いませんが、ここから先は責任は持て
ません。死の危険があった場合、私は志貴より自
分の身を優先します。それでもいいのですか?」
遠野志貴
「あいよ。俺も自分第一でやるから気にしない気
にしない」
シオン
「ふん、どうだか」
遠野志貴
「? 何か言った、シオン?」
シオン
「志貴の言葉は信用できないと言ったのです。
けど、私も気にしません」
「志貴は、信頼できますから」
遠野志貴
「――――」
そうして、私たちはビルの中へ入っていく。
先程の震えが嘘のように軽い足取りで。
それは私が嬉しいからだろう。
誤魔化さず、はっきりと、私は喜んでいる自分
を認めた。
……それは、思っていたより恥ずかしくはない、
どちらかというと誇らしい気がする。
―――では気持ちを切り替えよう。
後はこのまま全力で、この心を志貴に気づかせ
ないよう、今まで通りに振る舞うだけだ――

エレベーターが上がっていく。
電源は生きていなかったが、シオンがちょこっ
といじるだけでエレベーターは動きだし、こうし
て二人で屋上を目指している。
遠野志貴
「なおシオン。昨日、確かにタタリってヤツが化
けたネロを倒したよな。けどタタリはまだ残って
いる。……それって、つまり本物のタタリを倒さ
ないとダメってコトなのか?」
シオン
「いいえ。タタリに本物も偽物もありません。
……そうですね、たとえ志貴でもタタリを完全
に殺す事はできないでしょう。アレは、二十七祖
の中でも特別な死徒ですから」
遠野志貴
「は?」
シオン
「タタリは永遠である事を他者に依存した死徒。
そういった意味で、異端者と呼ばれた転生無限者
ロアとタタリは同じですから」
遠野志貴
「ちょ、ちょっと待ってシオン……!
君、今なんて言った……!?」
シオン
「? ああ、ロアの事ですか。志貴はロアとは因
縁がありましたね」
遠野志貴
「そうそう……って、そうじゃなくてその前!
その、タタリってヤツをなんて言った、君!?」
シオン
「死徒二十七祖の一人、と言いましたが。
……む。そう言えば、志貴には言っていません
でしたね」
遠野志貴
「言ってないって―――二十七祖ってアレだろ、
死徒の中で一番強いヤツらの集まりだろ!?
タタリがそんなとんでもないヤツだなんて聞い
てないぞ、俺!」
シオン
「それはこちらの手落ちでしたね。
ちゃんと説明しますから、そんなに怒らないで
ください」
「タタリは他に類を見ない吸血種です。
死徒とは人間のみを吸血対象とする吸血種を指
します。
死徒は大本の吸血種である真祖に吸われた二世
か、あるいは自ら吸血種となった人間です。
この中でも最高位とされる死徒を、一般に二十
七祖と称します」
「その二十七祖の中で一人、その正体はおろか姿
さえ不明とされるモノがいます。
死徒たちでさえ彼が何者なのか知らず、教会の
追跡さえ届かない。おそらく他の祖ですら、ソレ
と対峙した事はない。
ソレは実在するかどうかさえ怪しい吸血鬼。
だと言うのに、確固として二十七祖として君臨
する謎の存在。
それがタタリ―――ナンバー・13、
“ワラキアの夜”と呼ばれる吸血鬼です」
遠野志貴
「ワラキアの夜……それ、先輩から聞いた事があ
る。教会は二十七祖の住処は全て把握しているっ
ていうけど、その中でただ一人住処が特定できな
いヤツだとか……」
シオン
「ええ。タタリ――いえ、“ワラキアの夜”に住
処なぞ存在しません。もとより、アレはこの世に
は存在しないモノなのです」
遠野志貴
「……この世には存在しない……? それって、
もう死んでるってコト?」
シオン
「いいえ。肉体が滅びたとしても、幽体として未
だ存在する祖もいます。
単純に肉体が滅んだだけでは、二十七祖と呼ば
れる吸血鬼たちは消滅しない。
そういった事ではなく、“ワラキアの夜”は本
当に存在しないのです。
ある一定の条件が揃わなければ永遠に現れない
死徒。
けれど条件さえ揃えば永遠に存在する死徒。
それが“ワラキアの夜”が体現した不老不死」
遠野志貴
「不老不死、か……死徒でさえ永遠ではないが故
に永遠を求める……だっけ」
シオン
「それは転生無限者ロアの言葉ですね。
ええ、“ワラキアの夜”は彼にとても酷似して
います。永遠を自己にではなく他者に依存した点
が」
「死徒は不老不死ではありますが、永遠ではあり
ません。他者の血を飲み続けなければ保てない不
老不死は、その実不老でも不死でもないのですか
ら。
多くの祖はその不完全さを完全にする為に手段
を講じ、未だ完成に至っていない。
そんな中、自身に永遠を課すのではなく、他者
に依存する永遠を試みた死徒がいました。
一人はミハイル・ロア・バルダムヨォン。
才能のある赤子に転生する事で永遠を実現した
死徒。
そうしてもう一人が“ワラキアの夜”、
ズェピア・エルトナム・オベローン。
彼はロアとは別のアプローチで、他者に依存す
る永遠を実現しようとしました」
遠野志貴
「ズェピア・エルトナム・オベローン……って待っ
た、エルトナムってシオン……!」

シオン
「はい。ワラキアの夜の前身、祖の一人であった
吸血鬼ズェピアは私の祖先です。
正確には三代前のエルトナム当主、希代の錬金
術師と謳われた人物でした」
遠野志貴
「―――じゃあ君がタタリ……いやワラキアの夜
を倒そうとするのは、その」
シオン
「確かにズェピアはエルトナムの名誉を汚しまし
た。ズェピアはアトラスの禁を破り外界で研究を
重ね、その果てに吸血鬼となった。
その結果、アトラスにおけるエルトナム家の威
厳は失堕した。体よく言えばエルトナムの者は一
生消えない罪を負わされた、というところでしょ
うか」
遠野志貴
「……だからワラキアの夜を倒すのか。先祖の罪
を消す為に?」
シオン
「いいえ。私がワラキアの夜を追うのは、単純に
保身の為です。
……三年前。ワラキアの夜はイタリアの片田舎
に発生しました。
今までワラキアの夜を放置していた教会も、さ
すがにお膝元で吸血鬼による殺戮を起こさせたく
なかったのでしょう。
彼等はワラキアの夜への対抗策の一つとして、
アトラス院に協力を求めてきた。
元々ワラキアの夜はアトラスの錬金術師。
アトラス院の者ならばよい助言役になる、とで
も思ったのでしょう」
「その助言役に私は志願しました。ワラキアの夜
に興味があった訳ではありません。ただ外の世界
に出て新しい情報が欲しかっただけです。
……そうして、私はワラキアの夜……タタリと
遭遇した。
タタリが出るという山村に派遣された騎士団は
全滅。
村人も悉く血を吸われて死に絶え、私も―――」
遠野志貴
「……すまない。もうその話はいい。無理をさせ
て悪かった」
シオン
「いえ、これからワラキアの夜と戦う志貴には言っ
ておかないと。
私は、その時ワラキアの夜に噛まれました。
……シオン・エルトナムの体は、もう半分以上
吸血鬼化しているのです。
ですがワラキアの夜は吸血鬼でありながら吸血
鬼でない半端ない存在。
アレは、何年かに一度現れた夜にのみ、吸血鬼
として存在します。
そのおかげか、私はまだ完全に吸血鬼化してい
ない。
親であるワラキアの夜の影響を、三年前から一
度も受けていないのですから」
遠野志貴
「……そうか。死徒に血を吸われた人間は親であ
る死徒の命令に従って血を吸って、徐々に自立し
ていくんだっけ。
シオンはまだ一度もワラキアの夜から吸血衝動
を送られていないんだから、血を吸わなくてもい
いんだ」
シオン
「……いいえ。吸血衝動はあります。私の体は少
しずつ吸血鬼化している。体が吸血種になってい
くのですから、血はどうしても必要になってくる。
そして一度でも血を摂ってしまえば、吸血鬼化
は速く確実になってしまう」
「……だから私は、自分が吸血鬼になってしまう
前に、吸血鬼化の治療法を見つけなくてはいけな
かった。
同時に、ワラキアの夜が発生したのなら、彼が
子である私に命令を送る前に倒さなければならな
い。
……そうなれば、彼が送ってくる吸血衝動に抗
えなくなりますから。
―――志貴。
これが私の、タタリを追う理由です。
私はワラキアの夜に噛まれた人間。
その意味を、貴方なら理解してくれる筈です」
遠野志貴
「―――最悪の場合、シオンはワラキアの言いな
りになるって事か」
シオン
「はい。その時は躊躇わず私を殺してください。
志貴ならば或いは、本当にワラキアの夜を殺せ
る。
私が残るよりは志貴が残る方が正しい」
遠野志貴
「……一つ訊くけど。
シオンは、ワラキアには負ける気はないんだろ
う」
シオン
「―――当然です。負ける気であるのなら此処に
は訪れない。
アトラスの錬金術師にとって、勝負とはただ勝
つ為だけのもの。
負ける戦いには決して挑まない」
遠野志貴
「よし、それなら了解。
シオンがワラキアに負けそうになったら、俺が
シオンをやっつける」
シオン
「……はい。その時は、お願いします」
遠野志貴
「着いたな。ここが最上階だ」

シオン
「―――行きましょう、志貴。
あと数分で日付が変わり、ワラキアの夜が始ま
る。
どのようなカタチであれ、ワラキアの夜はタタ
リと成った時しか倒せない。ですから」
遠野志貴
「これが最初で最後の機会だって言うんだろ。
判ってる……俺だって、これ以上そんな悪趣味
なヤツに付き合う気はない」
シオンが操作パネルに手を伸ばす。
いまだ未完成なエレベーターは、ぎしりと軋み
音を立てて開いていった。


無人の廃墟。
月と星の明かりだけが照らす庭園に、その黒い
闇は停滞していた。
遠野志貴
「! シオン、アレが――――」

シオン
「……ワラキアの夜。零時を待たずにタタリに成
りかけているなんて―――」
―――ドクン、と心音が跳ね上がる。
血管という血管が膨張してはち切れそうな感覚。
死んでしまえ、と。
理性を殺し、
人間から血を奪い尽くした時がどれほどの快感な
のか、脳ではなく体に訴えかけてくる。
シオン
「――――ぁ」
遠野志貴
「しゃんとしろシオン。君の敵は目の前にいるん
だぞ」
……志貴の叱咤が聞こえる。
本当に怒りと蔑みが混ざった忠告。
だからだろう。
シオン
「……解っています。この程度では、決して」
私が、ワラキアを前にして自分自身を保つ事が
できたのは。
シオン
「いつまで黙っているつもりですかワラキア。
すでにカタチを得ているという事は意思がある
という事。最後なのだから、何か遺す物があるの
なら聞きましょう」

ワラキアの夜
「――――――――無粋な」
無に響く呪いの声。
遠野志貴
「――――――――」
志貴は静かにメガネを外す。
私はワラキアによって一段と昴ぶった衝動を抑
えつけ、銃を構えた。
ワラキアの夜
「開演前に舞台裏に訪れるとはな。
あの夜より何ら成長はしていないのか、エルト
ナム。何百年経とうが、アトラスの者に優雅さは
備わらぬと見える」
シオン
「っ――――ぅ…………!」
鼓動が早まる。
アレの声を聞くたびに脳が、ガラガラと、崩れ
ていきそう――――
遠野志貴
「シオン。アイツと向き合うのは危険だ。決着を
つけるのなら躊躇はするな」
シオン
「…………………」
志貴の意見は尤もだ。
私がワラキアの“子”である以上、対峙するだ
けで肉体の支配権を奪われる。
ならば、完全に支配される前にワラキアを倒さ
なければならないのは道理。
シオン
「――――」
遠野志貴
「シオン! 君が戦わないのなら、俺が―――」
ワラキアの夜
「それも無粋。解らぬか客人。そこの娘は、どう
しても私に問わねばならぬ事があるのだ。
そうであろう、シオン・エルトナム・アトラシ
ア?」
シオン
「……その通りです、ワラキア。
私は、貴方に訊かねばならない事がある」
ワラキアの夜
「よいぞ、聞こう。
もはや何の繋がりもないとはいえ、おまえは私
の子孫。
氏神として煩脳を砕くも義務であろう」
シオン
「――――三年前だ、ワラキア。
三年前のタタリで貴方は私たちを全滅させた。
それはいい。
教会にタタリを説明できなかった私と、タタ
リを理解できなかった彼等の責任でもある。
だが―――貴方は、そこで理に反した。
何故ですか。
何故あの時、私を――――」
ワラキアの夜
「おまえを見逃したのか、か?
そのような事をいまだ引きずり、復讐の源にし
ていたとは」
シオン
「黙りなさい……!
あの時、貴方は私を見逃す必要などなかった。
一夜しか存在しない貴方にとって、手足となる死
徒は必要ない。
ワラキアの夜にとって、シオン・エルトナムを
見逃す理由はまったくない。
だというのに、貴様は……!」
ワラキアの夜
「ふむ。三年前のあお夜、すでに答えた記録があ
るな。
……ほほう。私はこう答えたのだな。
“なに、同類相哀れむというヤツだ”、と」
シオン
「それが理にそぐわない。
貴方はエルトナムとはもはや縁の切れた存在、
ワラキアの夜だ。
その吸血鬼が、この私を、子孫だからという理
由で見逃した。
エルトナムの名を地の底に貶めた貴様が、そん
な理由で――――!」
ワラキアの夜
「――――――――――――――――――――は。
はは、ははは、はははははははははははははは
はははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははは!
これは痛快だ、つまりアレか、おまえはエルト
ナムの名を汚した私が、エルトナムの血縁である
おまえを見逃してやった事がタマラナカッタわけ
だ!
貴族の誇りも捨てた物ではないな、そんな勘違
いの屈辱に身を焼かれ、私はここまで追ってきた
というのだから!」
シオン
「――――勘違いの屈辱、だと?」
ワラキアの夜
「まったくだ。おまえがエルトナムの娘だから見
逃す? 考え直したまえシオン。
そのような理由で、私がおまえを同類と見なす
とでも思ったのか?」
シオン
「な――――」
ワラキアの夜
「おまえ自身が気づかないように目を背けていた
だけだ。
それも月日が解決するだろうと踏んでいたが、
気が付かないまま私の前に現れたか。
そも、おまえは何故アトラスから外に出たのだ。
おまえが訊かねばならぬ事とは、そのような下ら
ぬ事ではあるまい。
本当にまだ判らないのか?
おまえが間違えていた事、おまえの疑問の正体
というものに!」
シオン
「私の、間違い……?」
―――それは。
結局。ついに見つけられなかった私の疑問。
ワラキアの夜
「そうだ。おまえが得てきた知識・法則・理念、
思考。
その全てはシオン・エルトナムから生まれた物
ではなく、他者から読みとった借り物にすぎぬ」
シオン
「――――――――」

何を今更。そのような事、貴様に言われるまで
もなく―――
ワラキアの夜
「合理的であるが故に、アトラスではエルトナム
は罪に問われない。
だが、シオン・エルトナム。おまえは他人から
知識を読むのが巧すぎた。
他者の情報中枢への侵入は、他者の常識への浸
透と同意だ。
故に“自己の世界”という知性・常識が発達す
ればするほど、他者への侵入は困難になる。成長
し完成した“自身”という常識が、他者の異なる
常識・理念を弾いてしまうのだからな!」
シオン
「…………………………………………………」
そうだ。
だから私はつねに中立で。
自分の意志を持たないように、情報を集めるだ
けの“常識”を持って―――
ワラキアの夜
「おまえにとって他者の脳から情報を摂取するの
は常識だった。
シオン・エルトナムという娘は、エルトナムの
名を守る為にエルトナムの特性だけを特化した。
故にその行為は道理。
何の抵抗も違和感もなく、他者から情報を搾取
する」
シオン
「…………………………………………………」
でも、違和感はあったのだ。
それが何だか解らなかった。
いくら計算しても判らなかった。
だから外に出れば―――新しい情報を人から読
めば、私が何を疑問に思っているかが判明すると。
ワラキアの夜
「気が付く筈がないんだよ、娘。
その矛盾に気が付いてはシオン・エルトナムは
崩壊する。
人間である以上、その疑問はつねについて回る
のだ。
背徳、自虐、善意、博愛。
人間とはこれらの機能が付属したサルである。
だからこそ―――私はおまえに血を与え、吸血
鬼へと変えてやった。
私と同類であるおまえが、これ以上その性能を
落とさないように」
シオン
「…………………………………………………」
同類。同類。同類。同類。
それは。
ワラキアの夜
「それでは私も一つ訊こうか。
おまえは吸血種の体を持ち、吸血鬼化を拒むよ
うになった。
それは何故だ。
真理への追究に人の体は必要なのか?
より良い筐体があるのならば乗り換えるのは当
然ではないのか?
エルトナムの娘よ。
おまえは合理的に他者から情報を搾取してきた。
ならば―――吸血鬼になる事は合理的ではない
のか?
優れた筐体への乗り換えを拒む理由はなんだ?
何故おまえは―――
そこまで、人である事に固執する?」
私が吸血鬼化を拒む理由。
私が血を飲まない理由。
そんなのは明白だ。
私は、ただ。
他人から、何かを奪わなければならない体なん
て厭だっただけ。
けど、それは。
ワラキアの夜
「そうだ。矛盾しているだろう、エルトナム。
おまえは他者から情報を奪う事は嫌悪せず、
他者から血を奪う事は嫌悪する。
莫迦げた話だ。
吸血鬼を嫌うおまえは、およそ誕生した瞬間か
ら、吸血鬼と変わらぬ搾取を続けてきたのだから
な―――!」
だから、
間違いに気が付いても、
仕方がないって。
どんなに悔やんで、
どんなに嫌っても、
私は自分の生き方を変えられない。
だから―――私の生き方そのものが間違ってい
たと気が付いても、
私はつまらない私のままなんだから――――
シオン
「……………………………………………やめ、て」
ワラキアの夜
「そうだ。ようやく間違いとやらに気が付いたな、
シオン・エルトナム。
そんな単純な感情さえも、おまえは判らなかっ
たのだ。
だがそれは誇るべき事だ。
自身への罪悪感も判らぬ。
解るのは他者の思考だけ。
シオン・エルトナムという人間はいるというの
に、シオン・エルトナムを蒸しして他者の知識を
蒐集し続ける透明体。
―――そら、もはや言うまでもあるまい?
私は他者の情報によって発生し、おまえは他者
から情報を搾取する事でしか存在できない。
私がおまえを同類としたのはそれだよ。
我らは共に、情報なくしては存在できない生命
体―――喜ばしいだろう?
これ以上の同類が、この地上の何処にある……!」

闇が吼える。
喉が渇く。
血が。血が欲しくて、すぐ横には、ドクドクと
甘美に脈動する志貴の心臓が――――
遠野志貴
「ふざけたことを……! 耳を貸すなシオン、あ
いつの戯言なんて聞きとばせ……!」
――――解っている。
けど、あの声は正しい。
正しい事に耳は塞げない。
シオン
「……………………………あ、ああ」
喉が痛くて、何も見えない。
私は―――何か、もう、何もかも、どうでもよ
くなって――――――――――――――――――
―――――生まれて初めて、考える事を放棄した。
ワラキアの夜
「―――それでよい。
なに、元よりおまえを縛る道徳なぞ他者からの
受け売りだ。そのように思考をカットすれば、私
よりも上質な吸血鬼として振る舞えよう」
遠野志貴
「シオン……! しっかりしろ、シオン!」
ワラキアの夜
「さあ、もはやその衝動を抑える事もない。
三年間もの乾き、自らが招き入れた人間で癒や
すがいい!」
遠野志貴
「シオン……! いいのか、それで!」
―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――。

ワラキアの夜
「はは、ははは、はははははははははははははは
はははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははは!!!!」
遠野志貴 vs. 吸血鬼シオン
……重い。
私の体は以前より数倍の運動能力を持った筈なのに、数
十倍は重く怠く感じられた。
ただ腕を動かしたり首をあげるだけの行為が、こんなに
も苦しい。
機械を。
すでに伝奇の通っていない機械を、外部からの力で無理
やり動かすのに似ている。
けだしこの体は、血の通わない死体と同じ。
「――――――――!」
血の通わない耳が音を聞く。
風の音、遥か地上の木々の音さえ明確に聞き取れるとい
うのに、目の前にいる彼の声はよく聞こえなかった。
「……シオン、しっかりしろ……!」
本当に注意深く、
砂を一粒一粒取り分ける細心さで、
ようやく彼の声を聞いた。
「どうした人間。君の勝利だろう? 早くその哀れな娘に
結末を与えてやれ。どのみちすでに終わっている娘だ。君
がどんなに時間を引き延ばしても、ソレが滅びる事に変わ
りはない」
黒いノイズ
「――――――黙れ」
凍る声。
呼吸は荒く、倒された筈の私より、彼は窮地にあるよう
だった。
……そうか。
手足は重くて感じなかったけれど、やはり、私の爪は彼
の体を切り裂いたのだ。
「いまだ情けをかけるのか。放っておけばソレはすぐに傷
を癒して君に襲いかかるぞ。
その時は君の結末が待っている。その体では次の襲撃は
防げまい」
歪むノイズ。
笑っている。
きっとアレは満悦している。
私の無様さと、彼の滑稽さに。
……了解、と言ったのに。
私がこうなってしまったら殺すという約束に、彼は了解
と言ったのに。
「ほうら、娘に活力が戻り始めたぞ。
……優秀だ、君に切断された神経は再生不可能と見るや、
即座にエーテライトで代用し始めた。もとよりアレは医療
用として開発された疑似神経でね。回線を切断するだけで
は娘は容易く復帰する。
娘の自由を奪って私を倒そうとしたのだろうが、そんな
事で娘は止まらん。私の相手をしたいのなら、まず娘を完
全に殺すべきだ」
雑音、雑音、雑音。
けれどノイズは正しい。
彼は間違えている。
このままでは、私は―――
「よもや君、娘を落ち着かせれば元に戻るとでも思ってい
るのかね? いや、愛すべき楽観さだがそれは無駄だよ。
少年、娘の事を思うのであれば殺してやるしかないぞ?」
……砂嵐のような雑音。
私の思考、頭の中をノイズまみれにする厭な音。
――――それを。
「こ、の――――――うるせえ、少しは黙ってろ!!
さっきからペチャクチャペチャクチャうるさいんだよテ
メエは……!!」
それを。
切りつけるような鋭い声が、魔法みたいに消し去った。
「それで、シオン。おまえはそれでいいのかよ」
強い声。
耳障りなノイズが聞こえなくなるぐらい。
「いい筈ないよな。もっと暴れたいんだろ。ずっと血が吸
いたくて狂いたかったって顔だ。いいぜ、気が済むまで付
き合ってやるからこいよ。
ただし――――」
暗かった視界が戻る。
死体だった私に血が通う。
怠惰に、ただ逃げる為に止めていた思考に光が点る。
「ただし、その度に俺がおまえをやっつける。
シオンが諦めるまで何度でもうち負かす、そんな弱い自
分が嫌だって気づくまで、何度でもだ」
傷だらけの体で彼は言う。
だが気力で戦力は覆らない。
戦えば、今度こそ彼は負ける。
私は彼に勝ち、この乾きを癒すだろう。
「なるほど、確かにその娘は弱い。だからこそ私に屈した
のだが、さて―――その弱さは、君に対しての弱さでもあ
るのかな。
私に弱いという事は、吸血衝動に弱いという事。
吸血鬼と化したシオン・エルトナムにとっては、君こそ
が弱い存在であるのだがね」
ノイズは彼を嘲笑う。
彼は、ノイズなぞ聞こえないかのように無視した。
ノイズは、決定的なまでに微弱になった。
……笑ってしまう。
たった今、ワラキアは自分から、私の支配権を放棄した
のだから。
「―――――間違え、ているのは」
私の弱さは、私に対する弱さだけ。
私は私から逃げたかった。
ワラキアと同じ、他人の情報に依るしかないという自分
に気づきたくなかったからだ。
だってその間違い気づいたところで、私は間違いを正せ
ない。
私はそうやって産まれ、育ち、生きていく。
今更生き方を変えることなどできないし、する気もない。
故に間違いに気づいてしまえば、その間違いを認めて進
んでいくしかないのだから。
だから逃げた。
アトラスからも、自分からも、ワラキアからも。
それが私の弱さ。
ワラキアが誘う道は私にとって御しやすいモノだから、
そこに逃げ込んだだけ。
けれど彼は違う。
彼の言っている事はあまりにも困難だ。
戦えば、恐らく私は惨敗する。
だから―――私にとって強いモノ、勝利しえないモノは、
より困難な彼の言葉。
「―――――けど、挑みます」
ワラキアは間違えた。
ノイズは雑音のくせに正しかったからこそ、私を空っぽ
にしたのだ。
だが正しくないノイズなんて、本当にただの雑音。
そんな物に支配されるほど私は弱くはない。
―――――そう、弱くはないんだ。
私の問題は私が解決する。
彼の手助けはいらない。
自分が弱いなんて事、とっくの昔から知っている。
しかし、それでも。
「―――手助けは不要です、志貴。
私は、私以外の者に、負けてなんてやりませんから」
私は強く。
弱い自身を引き離す為に戦おう。
当然、挑む相手はワラキアではない。
私の相手はあの男。
私により困難な道を歩けなんて言う、
無責任な協力者を見返す為に戦うのだ―――

シオン
「手助けは不要です、志貴。
私は、私以外の者に、負けてなんてやりませんか
ら」
ワラキアの夜
「な―――に?」
遠野志貴
「シオン……! 正気に戻ったんだな!?」
シオン
「訂正してください志貴。私は初めから正気です。
吸血衝動に支配されたとしても、正気を無くす事
などありません」
遠野志貴
「そっか。ああ、シオンならそうだろうな」
シオン
「……なぜ嬉しげなのかは分かりかねますが……
今は不問としましょう。先にやらなくてはならな
い事がありますから」
遠野志貴
「―――(こくん)」
シオン
「すでに零時を過ぎています、ワラキアの夜。
そのような不出来な姿ではなく、タタリとして
カタチを成したらどうですか」
ワラキアの夜
「―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――」
シオン
「そのままでは貴方は何も出来ない。タタリにな
らずに一夜を過ごし、消し去るというのなら止め
はしませんが」
ワラキアの夜
「―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――」
シオン
「いつまでそうしているつもりかワラキア!
今宵が刻限、貴方にはこの一夜しかタタリとな
る時間はない。なら――――」
ワラキアの夜
「―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――カット」
遠野志貴
「!?」
シオン
「!?」
ワラキアの夜
「カット、カット、カット、カット、カット、カ
ット、カット、カット、カット、カット、カット、
カット、カット、カット、カット、カット、カッ
トカットカットカットカット―――――!!!!」
「興が削がれた。我が娘の陥落だからこそ時間を
割いたが、無意味に終わるとは……!
ああ、本当につまらない。残ったものは我が手
による殺戮のみか。それも早めに片づけなくては
ならぬこの手落ち!
夜が明けるまでに街中の人間を飲み尽くし、再
び第六法に挑まねばならぬのだ。愉しみなど何処
にある!」

遠野志貴
「な、ここはアルクェイドの……!?」
暴走アルクェイド
「そうよ。ここはわたしの世界。
自らを縛るアルクェイド・ブリュンスタッドが
何の気兼ねもなく力を行使できる所」
遠野志貴
「アルクェイド―――いや、おまえは―――」
シオン
「そうです志貴。アレは真祖の姿となったワラキ
ア。
本物の真祖ではありませんが、存在そのものは
アルクェイド・ブリュンスタッドと何ら変わると
ころはありません。伊勢物だからと侮らないで」
遠野志貴
「――――――――」
暴走アルクェイド
「心外ねシオン。侮るも何もないわ。
だってあなたたちとわたしとじゃ、勝負になん
てならないもの」
シオン
「―――」
暴走アルクェイド
「これから始まるのはただの害虫駆除よ。
あなたたちは逆らう事さえできず、虫のように
潰されるだけ。
この、偽りの月の力によってね――――!」
戦うのは―――
>志貴
シオン
遠野志貴 or
シオン vs. 暴走アルクェイド

暴走アルクェイド
「―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――」
シオン
「終わりです、ワラキア。
アルクェイド・ブリュンスタッド……真祖の姫
君たる彼女は、“祟り”と括れるほど容易い存在
ではない。
貴方では、彼女の体は使いきれなかった」
暴走アルクェイド
「……認めよう。アルクェイド・ブリュンスタッ
ドと成ってようやく理解した。この体の中身は底
なしだ。私では汲めて三割程度だったろう。
おまえたちがこの身を打倒しえたのは、タタリ
にそぐわぬ姿になった私の落ち度だ」
「だが、これも今宵だけの余興だ。
真祖の体、惜しくはあるが次の機会にするとし
よう」
シオン
「!? そんな、一度タタリと成ったからには、
カタチを崩されれば消え去る筈……!
それがどうして――――」

ワラキアの夜
「つまらぬ事だ。
私をワラキアの夜と呼んだのはおまえ達だろう。
一度駆動式が成立してしまえばタタリは一夜中
続くのだ。
カタチが滅ぼされようと、発生したタタリは亡
くならない。
今までタタリが滅ぼされ、朝を待たずに消えて
いたのは、単に飲む尽くす相手がいなくなっただ
けの事。
タタリというカタチはなくなったが、なに、そ
れではこの身で街中の人間を飲み尽くすだけの話」
シオン
「――――」
遠野志貴
「そうかよ、なら今のおまえを倒すだけだ!」

遠野志貴
「!?」
ワラキアの夜
「無駄だな。タタリというカタチを無くした私は
ただの現象だ。いかに直死と言えど、現象である
私を殺す事はできぬ。
我を退場させられるのは夜明けのみ。
それも遥かに遠い。さあ、一夜あらば悉くを飲
み尽くそう!」
遠野志貴
「くっ――――シオン、どうする……!?」
シオン
「―――出来ない。ワラキアの夜がタタリという
カタチを成さないのなら、これを滅ぼす方法はあ
りません。
カタチのないワラキアはそれこそ存在しないも
の。だからこそ何百年もの間、教会はワラキアの
夜を捕える事さえできなかった――――」
ワラキアの夜
「正解だ、シオン・エルトナム。
本来ならばおまえたちのような“戦う者”は最
後にとっておくのだが、それでは私の意義に反す
る。
何者であろうと、我が舞台を汚した者に存在は
許さん」
「一滴残らず飲み尽くす。
すみやから奈落へ落ち、永久に続く我が祭りを
眺めるがよい―――!」
「否。汝の祭りは今宵で終わりだ」
ワラキアの夜
「何者――――!?」

アルクェイド
「この遊戯の審判者。朱い月と名乗れば良いか?」

ワラキアの夜
「……! ぬ!? なんだ、思考が――――」

「っ、ぐ――――!?」
シオン
「……アレ、は……ズェピア・エルトナム・オベ
ローン……そんな、本当に……?」
遠野志貴
「え――? そ、それじゃあアレがワラキアにな
る前の死徒……!?」
ワラキアの夜
「――――有り得ぬ。
この身が、この私に戻るだと――――?
そのような理不尽、起きえよう筈がない。
貴様が真祖の王族であろうと、現象となった私
を存在に戻すなど――――!」
アルクェイド
「戯け。夢から覚めるがいい、死徒。おまえが望
んだ奇跡は叶わぬ。
たとえ何千と年月を重ねようが、その身が第六
と成る事はない。
無限の時間を連ねれば第六に至ると思うは自由。
僅かな可能性に懸けるもよかろう。
だが奇跡の果てを知れ。
その姿こそ、汝の果てよ」
ワラキアの夜
「―――貴様、何をした」
アルクェイド
「解らぬか、下郎。ならば仰ぐがいい、汝の頭上
に輝く朱い月を――――!」

ワラキアの夜
「――――赤い、月。これは―――私が、ワラキ
アの夜となった夜の――――」
アルクェイド
「思いだしたか。自らを現象とする為に赤い月よ
りくみ取った力―――その猶予は、再び赤い月が
現れる刻であろう」
ワラキアの夜
「いかにも。だが赤い月はいまだ未来の筈。私の
駆動式は千年単位の物だ。
予め定めた式が終わるのは千年後。
その時まで私はタタリである筈――――」
アルクェイド
「だが、式が終われば汝の姿に戻ろう。
千年もの長き式の果てに、一度たりとも正解に
たどり着けなかったのなら―――ワラキアの夜は、
ズェピアという死徒に戻ってもよい。
それが汝とアルトルージュが交わした契約では
なかったか?」
ワラキアの夜
「――――待て。では、これは」
アルクェイド
「そう、これは汝のくだらぬ度の結末だ、ワラキ
アよ。
嬉しかろう?
本来ならば千は続く徒労を、今此処に具現して
やったのだからな」
シオン
「まさか――――空想具現化で、千年後の月を作
り上げたの……!?」
ワラキアの夜
「ばかな……! 時間旅行ですら魔法の域だとい
うのに、千年後の月を持ってくるなどと、そのよ
うな事が――――!」

アルクェイド
「ここは私の世界だ。
汝と同様一夜限りの世界ではあるが、それ故に
私に用意できぬ世界はない。
ワラキア風に言うのならば、私も汝も一夜限り
の噂に依る支配者。
より優れた空想を具現する者がいれば、劣った
空想が妄想と堕つるは必定であろう?」
ワラキアの夜
「――――――――では。私の、望みは」
アルクェイド
「叶わぬ。汝の駆動式の終焉は人間の終焉。
無人の荒野に君臨するも良いが、結果の出た生
を行うも苦痛であろう。
これ以上汝の無策に我が力を使う事もなし、な
により汝の立てる劇は不快だ。
ここでその存在を終えよ、ワラキア。
なに、元より汝は人々の口端にのぼる噂にすぎ
ぬ。噂の一つ二つが消えようと、世に何の支障も
なかろう?」
遠野志貴
「……(ちょっとシオン。アルクェイドのヤツ、
何言ってるんだ)」
シオン
「――(……私たちの知っている真祖ではないよ
うですが、言っている事は判ります。要するに、
彼女はワラキアに死ねと言っている)」

遠野志貴
「……(………そりゃまたストレートな………っ
て、今のアイツ殺せるのか!?)」
シオン
「――(間違いなく。今の彼はタタリでもワラキ
アでもない。現象になる前の、ズェピアという吸
血鬼。今の状態の彼を消滅させれば、タタリなど
という死徒も存在しなくなる―――)」
遠野志貴
「……………!」
ワラキアの夜
「―――――――――ハ」
「ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハハハハ!
そうか、至らぬのか。何千年とタタリを続けよ
うが、私ではおまえに至れぬというのか、朱い月
よ!」
アルクェイド
「――――」
ワラキアの夜
「だが私は滅びぬぞ。我が名はワラキアの夜、現
象となった不滅の存在だ……!
この夜が私の果てだというのなら、ここで貴様
を仕留めれば嘘は消えよう。
もとよりこの方法で成れないというのであれば、
真夏の夜の夢もここまで。
ここで貴様を飲み尽くし、次の手段を講じると
しよう……!」
遠野志貴
「……来る……! けど、アイツ――――」
シオン
「……私たちで太刀打ちできる相手ではなさそう
ですね……唯一の希望は真祖ですが……」

アルクェイド
「あ、わたし? んー、悪いけどここを維持する
だけで精一杯なんだ。そういうワケでワラキア退
治は志貴に任せるわ」
遠野志貴
「ま、任せるっておまえさっきの強気はどうした
んだよ! ええい、都合のいい時だけ脳天気にな
りやがって! 敵を本気にさせたんだから、本気
にさせたヤツが責任とれー!」

アルクェイド
「あ、ほらほら、来るよアイツ。お喋りしてる暇
はないぞー、志貴」
遠野志貴
「うわあ、コイツってばとんでもねー!」
シオン
「同感ですが、こうなっては死力を尽くすしかな
いでしょう……!」
戦うのは―――
>志貴
シオン
アルクェイド
遠野志貴 or
シオン or
アルクェイド vs. ワラキアの夜
そして、幕が落ちる時が来た。

ワラキアの夜
「キ――――」
銀の杭を真似るように、志貴のナイフがワラキ
アの胸を穿つ。
ソレは、自らの胸を不思議そうに見下ろした後。
ワラキアの夜
「キキ、キキキ、キ」
どばり、と。
何百年とため込んできた、赤い血液を吐き出し
た。
ワラキアの夜
「キキ、キキキ、キキキキキキキキキキキキキキ
キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキ
キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキ
キキキキキキキキキキキキキ!!!!!!!!!」
零れ落ちる。
現代まで執拗に、時に妄心的に、溢れ出すほど
無用に、尚飽きたらず伽籃と築き上げた、阿僧祇
に至る命の波を。
ワラキアの夜
「ソウカ無駄カ、スベテ無駄カ――――!!
所謂靴ヲ履イた程度ノ獣、永続なド邯鄲ニ倣い
消却さレ奪イ奪イ奪イアッタ資産天空ヨリ糞屑の
如ク配給サレン!謳エ蠅ドモ、ソノ姿蛆ヨリ出ル
汝ラノ現世ナリ!キ、ヤハリ欠落ヤハリ欠損ヤハ
リ欠定ヤハリ無脳スデニ変脳スデニ低脳トウニ死
ノウ! き、キキ、キキキ、キキキキキキキキ!
嗚呼、何ヲ、何ヲ、何ヲ求メタノカコノ吾ハ!!」
仮面のような顔、洞窟の眼から流れ出す血液。
すでにソレは人のカタチをしていなかった。
ただ、際限なく流れ落ちる血液の柱と、その上
に泣き笑う仮面があるだけ。
ワラキアの夜
「ち。ごぼごぼごぼごぼ。ち。だらだらだらだら。
ち。どろどろどろどろ。ち。どくどくどくどく。
ち。血? 血! ちーーーーーーーーーー!」
びしゃびしゃと足音を残して、ワラキアは段々
と小さくなっていく。
仮面だけはそのままに。
血の柱は刻一刻と小さくなっていく。
アルクェイド
「……血の香りが強い。志貴、行きましょう。ワ
ラキアはもう消えるだけだし、ここにいても仕方
がないでしょう」

遠野志貴
「――――ああ。けど、その前に」
志貴は私を見た。
ただ呆然と立ちつくし、消えていくワラキアを
見つめる私を。
シオン
「……………ワラキア。貴方は、何故」
ただ漠然と、問うべきではない言葉が口に出た。
「吸血鬼に、なったのですか」
アトラスを抜けたのですか、とは言えなかった。
ワラキアの夜
「――――?」
ソレは小動物のように、くるりと、愛らしく私
に振り向いた。
シオン
「……莫迦だな、私は。ああなったワラキアに問
いかけて、答えなんて――――」

ワラキアの夜
「―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
――――それはね、シオン。答えを見たからだよ」
泣き笑いの仮面で。
この上なく優しく、ソレを言った。
シオン
「え――――」

ワラキアの夜
「答えを見たんだ、シオン。
私は答えを見た。そして君も、いつかはその果
てに辿り着くだろう」
「優れた錬金術師ならば誰でも辿りつける。私た
ちは魔法使いたちのような出し惜しみはない。
ちゃんと世界の全てを知り、きちんと計算をす
れば誰だってたどり着けるよ。
その、変えようのない終わりというものに。」
アトラスは狂人の蔵なんだ。
未来に避けられない滅びがあると知り、あらゆ
る手段をもって対抗策を作る。
けれど対抗策を作れば作るほど、滅びはおぞま
しさを増して私たちを打ちのめした。
何をしようと救いなどない。私たちはあらゆる
人間に平等な世界をもたらす為、未来を読んで世
界を運営しようとした。なのに、まず初めに出て
きたのは滅びなんだ。
考えた。考えた。考えた。考えた。考えた。考
えた。考えた。考えた。考えた。考えた。考えた。
考えた。考えた。考えた。考えた。考えた。考え
た、考えた考えた、考えた考えた考えた……!!
そう、あらゆる方法をシュミレートした!
なのに手を尽くせば手を尽くすほど、私たちは
余計ひどくてメチャクチャでグロテスクな未来を
運営するだけだったんだ!
狂った。滅びの未来に至った錬金術師はみな狂
った。狂ったように未来に挑んだ。そして本当に
気が触れた。
―――ああ、君もアトラシアの名を冠したのな
ら、いずれあの穴蔵に落ちるだろう。
歴代のアトラシア、狂いながら新しい滅びを計
算する錬金術師を押し込めたあの地獄に!
私は―――それに挑んだんだ。
不可能を可能にするのがアトラシアの称号だ。
結論として吸血種となり自身の能力を強化させ、
奇跡へと至る事だった」
泣き笑いのままソレは言う。
……そう、泣き笑い。
アレの顔があそこまで歪んでしまった理由。
それは、未来を読むという私たちの存在自体が、
まったく意味のない事なのだと思い知らされたが
故なのか。
ただ必死に、自身の無力さを否定する為に走り
続け、その果てに正気を失った―――
シオン
「……ワラキア、貴方は……」

ワラキアの夜
「キ……キキ、キキキキキキキ! タベロタベロ
タベロタベロ、骨ノ髄マデ食イ尽クセ! 救いナ
ンテありはシナイ娯楽なんてアリハしない、ツマ
らないツマラナイ、人間ナンテツマラナイ!
ツマラナイクダラナイ、ウバイアイコロシアイ!
ソウシテ自滅シロ自滅シロ、ツマラナイナラ自滅
シロ! キ、キキ、キキキ、キキキキキキキキキ
キキキキ―――キキ、キ、キ。ひ。
ひひひ、あははははははは!
ソウダ、ワタシ、ワタしハ、そウ―――ただ、
計算しきれぬ未来こそガ、欲しかった――――」

アルクェイド
「ばかね。生まれてきたからには終わりはあるも
のなのに。わたしたちの終着駅はみな滅び。それ
を受け入れられないのなら、大人しく自滅してい
るべきでしょう」
真祖の言葉はもっともだ。
私も彼女の呟きには同意する。
遠野志貴
「……そうだな。けど、アイツは知ってたんだろ。
そういう未来があって、ついでに、自分たちには
それを回避できる手段があるんだって。
だから認められなかったんだ。
だって逃げ道が見えているんだから、道がある
限り試し続ける」
シオン
「………………」
遠野志貴
「なまじ先が見えたからしょった苦労か。俺には
同情する気なんて微塵もないけど―――ワラキア
の夜っていう吸血鬼の発端には、何の悪意もなかっ
たって信じてもいい」
シオン
「志貴は甘い。発端がどうであれ、アレは数多く
の人間を殺してきた。その罪の前に、罪が軽減す
る事はありません」
遠野志貴
「知ってるよ。けど君ぐらいはそう思ったら?
アイツ、最後にちゃんとシオンって口にしたんだ
から」
シオン
「―――ふう。ですから、それで殺された人々が
救われる訳でもないでしょう。
ズェピア、いえ、ワラキアの夜は殺戮者でした。
その事実につまらない感傷を挟んではならない」
それは覆らない事実。
志貴の言葉は意味のない感傷だ。
…………それでも告白してしまえば。
その一言に、あの男が救われたと信じたい。

地上に戻れば、夜は明けようとしていた。
相変わらず風はないし、空気は掴めそうなほど
暑い。
―――それでも。
ビルから出て、地面に一歩踏み出した時、私に
は世界が違って見えていた。
シオン
「それではここで。これまでの協力、本当に感謝
します、志貴」
遠野志貴
「そう言ってもらえると嬉しいな。俺はただ付い
てきただけだけど、シオンの役に立てたんなら良
かった」
シオン
「はい。この旅は、志貴がいなければ終わらなかっ
た」
そうして、私はこの場所を見回した。
初めて彼と戦った場所。
そして私たちが別れる場所。
今にして思えば、あの時―――私は志貴に負け
たから、こうして朝を迎えられる訳だ。
あの時の戦いは、単に志貴が私より優れていた
だけの結果だ。
それでも私には十分に勝算があって、事実、偶
然が続かなければ私は志貴を組み伏せていただろ
う。
シオン
「…………偶然というのも、悪くないですね」
遠野志貴
「? 何か言った、シオン?」
シオン
「はい。負けてみるのもいい、と。
今にしてみれば、私は私を負かした貴方を見返
す為に、付いてきてもらったのだな、と」
遠野志貴
「は? 見返すって、俺シオンをバカにした事な
んてないぞ」
シオン
「ええ、私も志貴に見下げられた事はありません。
数々の侮辱ならば何度も受けましたが」
遠野志貴
「うっ―――それこそシオンの勘違いだよ。
俺が無知なのをいい事にそっちが隠し事をする
からじゃないか」
シオン
「さらに忠告を。無知である事は剣にはなります
が、盾にはなりません。今後は気を付けてくださ
い」
遠野志貴
「ぁ――――うん。それは、その通りだ」
彼は生真面目に頷いた。
これも彼の長所。
理にそう事なら素直に聞き入れる。
……まあ、同時に短所でもあるのだけど。

シオン
「―――――――」
遠野志貴
「? なに、いい事でも思い出した、シオン?」
シオン
「いいえ。思い出せる事でいい事なんて、今はあ
りません。それは志貴と別れた後に作るとしましょ
う」
遠野志貴
「??? ……よく分からないけど、ま、いっか。
それよりシオン、アルクェイドとの話し合いは本
当にいいのか? 今ならアイツだって少しは話を
聞いてくれると思うぞ」
真祖……アルクェイドは二十メートルほど離れ
て待機している。
志貴が自分から「シオンと話しがあるから」と彼
女を遠ざけたのだ。
……二十メートル程度では私たちの会話は筒抜
けだろうが、気にする事でもないだろう。
私は別に。
彼に、何を残す訳でもないのだから。
シオン
「真祖の事はいいのです。ワラキアが消滅した時
点で、私を吸血鬼へ引き寄せるモノはなくなった。
依然として私の体は吸血種のままですが、吸血
衝動そのものは十分に抑えきれるレベルです。こ
れなら日常生活に支障はない。アトラスに戻り、
吸血鬼化の治療を研究します。
今までのように私一人ではなく、アトラスの人
たちと協力して」
遠野志貴
「――――――」
誰かと協力して、と語ると志貴は本当に喜んだ。
……そういう志貴と一緒にいたから、私も少し
は変わる気になれたのだろう。
まあ、それでも。
私の根本、他者から知識を盗み取るという性質
は変わらないのだけど。
シオン
「志貴。色々ありましたが、ここに来て得る物は
多かった。私は間違いだらけでしたが、解決を望
んでいた訳ではなかったから。
……そうですね、これからは間違いを知ったま
ま、何らかの答えを捜していこうと思います。
人間は矛盾だらけですから。その代表例として、
貴方の事は忘れない」
遠野志貴
「なんだいそりゃ。人をサンプル扱いですか。シ
オン、初めて会った時とぜんっぜん変わってない
な」

シオン
「――――ありがとう。そう言っていただけると、
自信が持てる」
そして、私は右手を差し出した。
シオン
「志貴。
別れの前に、その、握手をしてもらえませんか」
感謝や友愛といった感情表現を、私はまだした
事がない。
知っている信頼の証といったらこんなモノだけ。
だけど、だからこそ、
この触れ合いに、
出来うる全てを覚えさせたかった。
遠野志貴
「ああ。今までありがとうシオン。
それと、本当におつかれさま」
志貴が私の手を握る。
私も、ガチガチに固まった指を全力で動かして、
ぎゅっと、彼の手を握り返した。
シオン
「―――貴方は友人だ。だから果てのない契約を
したい。
貴方が私を必要とした時、私は必ず貴方の力に
なる。それを許してくれますか」
遠野志貴
「なに言ってるんだ、許すも許さないもないだろ。
困った時には呼んでくれ、シオン。こんなんで良
ければ力になるよ」
シオン
「――――良かった。
それではここで別れましょう、志貴」
遠野志貴
「ああ。それじゃ元気で、シオン」
シオン
「志貴も、どうか末長く」
志貴はあっさりと走っていった。
志貴を待っていた真祖が文句を言い、志貴はそ
れを軽くいなして、二人一緒に去っていく。
その背中が見えなくなるまで見届けて、私も一
歩を踏み出した。
シオン
「――――良かった。
それではここで別れましょう、志貴」
別れの言葉を口ずさむ。
そう、本当に良かった。
私と彼との約束は、まだ続いているのだから。
この先、私と彼がすれ違う事はないだろう。
それでもこの約束がある限り、私はずっと今の
気持ちで有り続けられる。
私の初めての友人、初めての協力者。
そして、私の初めての――――
シオン
「さあ。まずはアトラスに戻って、学長に反省文。
その後に教官たちを説き伏せなければ」
やる事は山ほどある。
いつまでも優しい気持ちではいられない。

―――私は彼に負けないぐらいの鮮やかさでこ
の土地を去る。
後に残ったのは暑い夏。
私と同じ、けれど絶対に違う錬金術師が作り上
げた虚構の夜。
二度と訪れない夜に背を向けて、
私は、
いまだ読み切れない未来へと歩きだした――――

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